サムライ8 八丸伝 第7話「出会い」感想⑦
「八丸はオレだけど…
アンタ達 誰?」(八丸)
「は…は…はじめまして…
わ…わ…私のな…名前あ…あ…
―――…」(アン)
「ん?何て?」(八丸)
「……」(アン)
「……」(達麻)
「だから誰?」(八丸)←コレッ!!
「八丸…人の話は
最後まで聞けと言ったな…
お前は物事をあせりすぎる…
それでは刀も鎧も
姫ともうまくいかん」(達麻)
「!!?
まさか―――お前が…オレの
運命の姫!!!?」(八丸)
アンちゃんは八丸が気に入ってしまったんでしょうね。それで緊張の度合いが途端に跳ね上がってしまった。初対面の葉芽道にはたどたどしかったけどコミュニケーションできたのに、八丸には上手く話せません。八丸はそれが聞き取れなくて普通に聞き返すのだけど、アンちゃんはそんな自分が情けなくて自己嫌悪に陥ってしまいます。その一部始終が達麻には(見えないんだけど)見て取れた…、これ以上、八丸に不用意にアンちゃんに踏み込ませるのはいけないと判断したんでしょうね。咄嗟に達麻は八丸を諌(いさ)める罠。
「丁々発止」と申しまして、これは硬いものが激しくぶつかり合う様を例えた言葉ですが、要はチャンバラの事ですな。長年、そんな世界で達麻は生き抜いて参りましたから、何事においても激しくぶつかり合う兆しというものが分かるのでしょう。それで、八丸とアンちゃんがそんな状況に陥らないように一旦、間合いを切らせたのであります。達麻のセリフの吹き出しが八丸の「だから誰?」にかぶさってますよね。達麻は余りにも幼くデリカシーの乏しい八丸に「黙れ」と言っている訳だ(笑)。
同時に達麻は昂りを抑えられないアンちゃんにも「落ち着きなさい」と語りかけているようじゃないですか?女の子の方が男の子よりも何年も先を行ってますから、八丸にはない恥じらいとか、虚栄心すら、その心の内に根付いているのです。しかし、アンちゃんは吃音でコミュニケーションに問題を抱えています。有り体に申し上げるなら、発達的に若干の問題を抱えた子であろうかと思われます。この場合、接する側としては深い知識や注意深い配慮が要求されます。恐らく達麻は本能的に、何をか悟ったのでしょう。
僕は、今回のお話を読んでからズッーっと、僕ならアンちゃんにどんな風に接するか?を考えていました。今から思えばではありますが、僕も発達にいくつかの問題を抱える子供だったので(僕が子供の頃はそういう知識以前に用語すらなかったからねー)、悔しい想いや辛い体験がそりゃもう沢山ありまして、もう他人事じゃーないのであります!!それに、こんなオッチャンになった今ですら「生き辛さ」を常に感じていますから!!でも、それと同時にそれらを乗り越えて逞しく生きて来られた実体験も持っています。
もし、僕がアンちゃんの親というか保護者だったら、彼女の好きにさせるなー。喋りたかったら喋ればいいし、嫌だったら黙ってればいい。歌が好きならアンちゃんが思い切り歌えるようにカラオケボックスに行きましょう!!静かに何かに向き合いたいなら絵を描いてもいいし、僕の大好きな写真を教えてあげることもできる。いろんな方法でアンちゃんが好きな何かを二人で探そう。それでアンちゃんが少しでも興味を示す事を見つけたら、僕はその機会を見逃さないで、彼女に与え続けると思います。
アンちゃんが嫌な事。苦手な事ではなく、好きな事。好きな物。彼女が得意な事や興味がある事が必ずあるから、それに巡り合わせどんどんやらせると思います。何でかと言うと、僕が子供の頃、そうだったらいいなー…と思ってたからなんだけど、別に専門的な講義を受けた訳でも学問として学んだ訳でもないので、全然的外れだったらごめんなさいです(汗)。でも、僕はアンちゃんが何かを掴んで、それを手繰り寄せて…自分の物にして、アンちゃんに何かをやり遂げさせてあげたいです。それがきっと彼女の自信になるから!!!
その為に僕は彼女に与えて与えて与え続ける。もし僕が彼女の保護者だったら僕の全力で彼女に与え続ける。この全て…尽きてもいい。ここで、それらの想いとは八丸がパパにして貰った事だと、少年少女は気付きましたか?同じように、八丸がそれに気付けるかが大事なんだけど、八丸には八丸なりのアプローチがあるとも思います。それに八丸の場合は「親」ではなくて「恋人」だしね。僕はアンちゃんと年が違い過ぎてよく分かりませんが、きっと、そのままのアンちゃんを八丸は好きになればいいと思うんですよ。ちょっとくらい話すのが苦手でもいいじゃない!!
アンちゃんが変わらなくてもいいんだよ。そのままでいいんだよ!!って、八丸はアンちゃんに教えてあげればいいと、僕は思います。実際、八丸はこれまでパパにそうしていろんな物や事を貰ったんだから、そういう子は自然と他者に与えられる子に育つものです。僕だってそうだし、少年少女だってそうなんだよー!!空気や水が沢山あり過ぎて、その有り難みが分かり難いのと同じで、少年少女の周りに沢山あり過ぎて気付けない…大切なものがあるのよ。有り難い…っていうのは、なかなか存在しないって意味もあるし、サンキューでもあるある。
難しいーよね。でも、僕も含めて少年少女がスクスクと育てているのは、そういう…有るの事が難しい物や事がみなさんを支えているからなんだよ。でもね、大人になって…僕みたいなオッチャンになって初めて気付ける事だってあるくらい、それらは見つけ難いのよ。余りにも沢山あり過ぎてね、意識が及ばないのよ。でも、いつか気付ける。その時、人は一様に手のひらをピタリと合わせるんですよ。不思議だけど、みんなそうする。そして、みんなこう言うの…「有り難い」って。
それが「感謝」という大切な気持ちなんだわ。
八丸だってそれに気付いていたからロッカーボールが承認したんだと思うので、不器用で全くもってレディネスの整っていないお子ちゃまだけど、ここは腹を決めて…そのままのアンちゃんを受け止めてやれってーの!!それが男だーッ!!パパに沢山貰ったんだから、今度はお前が誰かに与える番だ!!しかし、これを達麻が八丸にどう教えるか?って難しいですね。どうやって気付かせるか?どう導くか?子供に対する大人の役目って重いですね。でも、子供らに教えると言うよりは生き様…模範を見せるという意味で大人の行いの内容とか質が問われると、僕は思うのです。
続きまーす!!(最後は鬼侍ねー)