サムライ8 八丸伝 第12話「誰のために、何のために」感想①
あらすじ:自性輪身の半分以上を失ったアタさんですが、童子切高綱を真剣化して尚も八丸に迫ります。早太郎も頑張りますが全く歯が立たず、パパも八丸を庇ってアタさんに斬られてしまう。葉芽道がアサルトライフルで応戦しますが、鈍の柄に仕込まれた爆弾で沈黙。達麻は修復率50%でまだ動けず…。八方塞がりの中、八丸はフルタ博士と過ごした闘病生活を想い返し「誰のために、何のために」を考え始めます。そして、自分の「義」に気付きアタさんと侍魂を交えるのですが、アタさんは尚も手強い。その中で八丸がネトゲで鍛えた動体視力がアタさんの動きを少しずつ見切り始め、フルタ博士の想いを乗せた八丸の侍魂が反撃に転じ…。
<スッ>(アタ)
「もう…いい」(アタ)
(仕留め損ねたか…!!)(フルタ博士)
<スゥー…>「すぐに…八角をバラして
連れていく!」<ズズズ>(アタ)
「!!!」(アン・八丸)
<バッ>(アタ)
「!!」(フルタ博士)
「ニャン!」<バッ>(早太郎)
<ドッ>「キャッ」(アン)
「早太郎!!アン!!」(八丸)
「!?」(八丸)
<ガハッ>(フルタ博士)
「チィ!死にぞこないが!」<スッ>(アタ)
<ドサッ>(フルタ博士)
フルタ博士の秘密兵器が不発に終わり、アタさんが八丸(八角)の回収を急ぎます。達麻も修復中で動けず歯痒い想い。しかし、フルタ博士の侍魂の消失装置で自性輪身の半分以上を持っていかれたアタさんですが、ここから八丸を回収してキューブ宇宙まで帰還できるのですね。アタさんが「バラして」というのは「散体」を意味するのかな?恐らく、目当ては「鍵」たる八丸のキーユニットなのでしょう。それにしてもなかなか死なない自性輪身のアタさんがシツコイです(笑)。
この描写は今話のテーマ…「誰のために、何のために」の先にある「勇」の何たるかを仄めかしているように感じます。ま…自性輪身ではありますが、こんなにも死なないアタさんもまた頑張っているんです。そりゃー言葉遣いがちょっとアレで傍若無人過ぎて思い切りDQNですけど、アタさんにはアタさんなりの戦う理由というものが存在する訳です。僕らは主人公の八丸側からばかり物語を感じがちです。それで八丸を「善」で、アタさんが「悪」と決めつけてしまうのはちょっと危険だと僕は感じます。
如何にもアタさんは悪役に描かれてます。実際、本当に底意地が悪くて嫌な奴かも知れませんけど、だからと言ってそれでアタさんが「悪」なのでしょうか?それに対して達麻が「善」でいいのでしょうか?確かに達麻の行動が「善」であれば、それに反目するアタさんの行動は「悪」と言えるでしょうが、それとは逆にアタさん側からすればアタさんが「善」であり、それに反目する達麻が「悪」になると思うんです。「善悪」なんて概念形態は自分の立ってる位置でコロッと変わるんです。
それは「絶対」ではなく「相対」だからです。例えば神様(絶対者)が一人いて、こっちは「善」で、そっちが「悪」だよ…と、決めるのではなく、当事者間(相対)の問題なのであれば、これはもうイデオロギーの相違に他ならないのであります。政治思想とか社会思想の違いが、それぞれの行動を左右してるだけで、どちらも善かれと思って行動してるんですから、「善」と「悪」が戦ってるんじゃなくて、「善」と「善」が戦っているんです!!それぞれがそれぞれの「正義」を振りかざしているんです!!
だから、悪辣な印象の強いアタさんであっても、「誰のために、何のために」は達麻や葉芽道、そして八丸らと何ら変わらずに存在するのであります。つまり、侍の強さや在り方は同じなのです。アタさんがこんなに強くしぶといのは確かな「義」に衝き動かされ行動し、その腹に「勇」が在るからでしょう。そして、それが全く感じられない八丸に対して、アタさんは嫌悪感を隠せないのであります。八丸の軽口にアタさんがけんもほろろなのは、八丸が剣を交えるに値しない存在だからです。
アタさんにしてみれば八丸なんて侍とは言えない…単なる「鍵」でしかないのだから、それだったら散体させて(バラして)持って帰りますよーと言うことなのです。しかし、ここでアタさんが八丸に苛立ち、さっさとバラさずに怒りを吐き出してくれたおかげで八丸の心構えが整うきっかけになったのは不幸中の幸いだったでしょう。やはり、そうしたアタさんの行動の奥底にはやはり彼なりの「義」が据えられていて、正しくアタさんが「勇」を持つ侍である事の証明であると、僕は思うのです。何事も見かけに騙されてはいけないという事なのですね。
続きまーす!!