サムライ8 八丸伝 第14話「父の秘密」感想②
「…は…八…丸……
ぐっ…」<ドクン><ドクン>(パパ)
「!」(八丸)
「!」(アン)
(父ちゃん…!)<スッ>「……」(八丸)
「ハガミチさん!
このまま父ちゃんを
オレの家まで運んでいける?」(八丸)
「移動は出来るが…
なぜだ?」(葉芽道)
「オレが使ってた
生命維持装置があるんだ!
それを使えば父ちゃんが
助かるかも!」(八丸)
「よし…!
行ってみよう!」(葉芽道)
「アン!」(八丸)
「は…はい!」(アン)
「速く飛ぶ!
怖いかもしんないけど
我慢してくれ!」(八丸)
<スッ>「う…うん!」(アン)
パパが死にそうな時にアレですが、僕はこの件(くだり)で八丸がアンちゃんを気遣えたのがすごく嬉しかったです。パパを自分が使っていた生命維持装置に繋いで延命させるアイデアも機転が利いてていいと思いましたが、パパを自宅まで運ぶのにかっ飛ばすからアンちゃんを巻き込んでしまうのを、このドタバタの中で想定してるんですね。これまで八丸はこういう他者に対する配慮というものが皆無だったので、この格段の進歩がややもすると怖いです。こんなに短時間に人って変われるものなのかしら。
しかし、アンちゃんは八丸にとって大切な人でありまして、きっとパパと同じように八丸はアンちゃんを家族だと考えているのでしょう。まだ男と女の関係ですらないけど、そういう事は関係なしに、人が人を大切に思う気持ちを八丸は育んでいたのです。それがこんな土壇場の状況で…。八丸のこれまでの生活を考えてみても生身の人間との接点は恐らくパパだけです。ネットで他者と繋がてはいましたが、そんなもの記号化された薄っぺらな関係でしかなく…関係というのも烏滸(おこ)がましく思える。
そんな八丸の内面というものを育んだのはやはりパパさんだったと思うのです。八丸は優しい子に育ちました。優しさって何だと思いますか?そんなの分かってるよ!!と思いますよね。でも、それを言語化して説明するのは意外に難しい。このテーマに関して、実は素晴らしい作品がありまして不遜ながら紹介させて貰いたいと思います。夏休みですし、読書感想文の時期ですから、課題図書の指定がなく自由なら司馬遼太郎大先生の『21世紀に生きる君たちへ』を是非ともオススメしたいです。
何たって超短いんです。ものの5分もあれば読破できます。それに高い書籍を買わなくてもネットに全文が転がっています。著作権云々はありますが、この文章がネットに転がっているのは、それ以上に大切な意味合いがありまして、それは一読されれば分かります。僕はイジメが原因で少年少女が自殺する事件が世の中を賑わせた時期にこの作品の存在を知り、この作品のおかげで僕自身も救われたし、誰かを救える足掛かりを得られました。この作品は人類が共有すべき財産なのだと、僕は考えています。
少年少女は勿論ですが、僕と同じおちゃんやおばちゃんももし触れていないのであれば『21世紀に生きる君たちへ』でググって読んで欲しいです。できれば音読していただきたい。僕はこれを読むたびに泣いてしまいます。これは司馬遼太郎大先生の遺書なのであります。21世紀を迎える前に先生は本当にお亡くなりになられました。これは少年少女に先生が残された先生の未来への決意なのあります。大変、有名な作品ですが、もし…もしもご存知ない方がいらっしゃるなら騙されたと思って読んで頂きたい!!
ここに謹んでその一部を引用させて頂きます。
原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会をつくり、たがいに助け合いながら生きているのである。自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。助け合うという気持ちや行動のもとは、いたわりという感情である。他人の痛みを感じることと言ってもいい。やさしさと言いかえてもいい。「やさしさ」「おもいやり」「いたわり」「他人の痛みを感じること」みな似たような言葉である。これらの言葉は、もともと一つの根から出ている。根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならない。その訓練とは、簡単なことだ。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分でつくりあげていきさえすればよい。この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。(『21世紀に生きる君たちへ』抜粋)
優しさとは想像力であると、僕は教えられました。そして、それは本能ではなく訓練によって獲得できる能力なのであるとも。そういう風に司馬遼太郎大先生は仰られているのだと僕は認識しています。それは脳の鍛錬とも言えましょう。脳の機能とは「心」であります。人は生まれながらにして人ではありません。いろんな経験を積み、人は自己というものを傷付いて気付き築くのであります。そうやって人は人になる生き物なのであります。生まれたままで優しさも思い遣りも人には決して備わっていないのであります。
だからこそ、人は学ばねばならんのです。スポーツに励んで身体を鍛えるように、いろんな事を考えて…心だって鍛えねばならんのです。自分がこれを話せばあの人はどんな気持ちになるんだろう?この行動が他者にどう影響を及ぼすんだろう?それらを考える…想像する力こそ、その人の優しさなのであります。それを訓練するのが人の学びなのであります。本を読んだり、計算したり…脳の機能を総動員して考える力を養う必要が人にはあるのです。それは人が人になる為に必要な試練なのであります。
少年少女には是非とも今、無味乾燥に思えるかも知れない学校での勉強が決して無駄ではないのだと、僕はお伝えしたいです。僕だって皆さんの年頃には、こんな事して何になるの?社会に出た時に必要なの?と絶えず思ってましたもの。でも、皆さんの身体がまだ柔軟なように脳みそだって柔軟なんです!!少年少女にはこれから如何様にも発展できる可能性があるのです。それに若いから生命力に溢れてますから、どんどん傷付いても大丈夫なんです。それは傷付いても治りが速いから!!それは身体だけじゃなく心も一緒なのです。
だから、身体を動かすように心も動かして、いろんなものを見て聞いて取り込んで…考えて欲しいんです!!考えるべきなんです。そうして得られた考える力こそが「想像力」なのであります。それが心の中にあれば、少なくとも自分がされて嫌なことは他者にしなくなると思うんです。優しい人間になれると思うんです。それが学習の目的であります。少年少女が学校へ行って学ぶ理由であります。勉強とはあなたたちの心の運動なのです。あなたたちが人になる為の…優しくなる為の訓練なのであります!!
それを踏まえて、八丸がパパがこんな状態であるにも関わらず、アンちゃんに対して配慮できたのが、すごく喜ばしく思えたのであります。八丸は優しい子に育った事が嬉しくてならなかった。そして、それは偏(ひとえ)にパパが八丸を大切に育てたからなのであります。八丸が誰かを思い遣れるようにパパが上手に育てたからであります。八丸はパパの下、大いに学んでいたのであります。それを少年少女は大切に汲み取って欲しいのです。これまでの八丸の生活を大いに想像して欲しいのです。
続きまーす!!