サムライ8 八丸伝 第33話 相棒 感想③
「さて…
このままじゃ…身柄を移送するのも大変だな
でか過ぎる」<スッ>(千)
「!」(三打)
<スッ>(三打)
「!」(千)
「オレに…」(三打)
「……」(千)
<コクン>(千)
「!」(弁形)
「オレをずっと騙してたな…」(三打)
「オレはアンタを信用してたのに」(三打)
「そこがお前の欠点だ
女に甘く大した犯罪もできねェ小心者で
騙されやすい」(弁形)
「フッ…
お前はいい奴だからなァ」(弁形)
「ああ…お前も分かってたか」(竜)←正直、要らねー!!!
「そこは母親譲りだな」(弁形)
「あの日オレは…
お前の母親に
『義常が錯乱し息子を殺そうとしている』
とけしかけた
そしてあの女は身を投げ出して
お前をかばった
まるで――――
そっちが侍のようだった
いい奴の行動はつかみやすく
騙しやすい」(弁形)
達麻が弁形の記憶にハッキングして得られたデータが八丸に託されたお陰で三打は弁形'sビューで自身の父・義常と母の死の真相を知るに至りました。弁形はこの一件で義常の鍵(キーユニット)と侍魂、それに牛若丸(キーホルダー)と艦(鬼若丸・キーホルダー)を得た訳ですが、遮那家ばかりか侍としてのキャリアを放棄して犯罪集団の頭になって裏社会で生きる道を選んでいます。きっとそのまま侍を続けていても芽が出ない諦めみたいなものが弁形にはあったんじゃないかと僕は考えていまして、それはそれで弁形が自分の能力や適正をよく理解した正常な行動だったのかなー…と思います。
弁形は達麻の指摘でもあったように鍵が貧弱(容量が少ない?)でしたから、他者の鍵を奪い自分の鍵にゴテゴテと継ぎ足して能力を拡張せざるを得なかったので、表社会で真っ当に剣技をダウンロードして侍として生きて行く道が閉ざされていた…と、誰あろう弁形自身が納得していたんですね。ぶっちゃけ弁形は自分に絶望してた…と申しますか、丸っきり自信がなかったんでしょうね。だから、強者・義常のキーホルダーと恐らくそれをコントロールする為に必要になる義常の鍵(キーユニット)がどうしても欲しかったんのだと思います。逆にそれくらいしか利用できるものがなかったのでしょう。
それで策を弄して義常を散体に追い込むんですが、ママまで殺す必要はなかったんじゃないのかな?と僕は思うんです。実際、ママが息をしてない…と告げられただけで義常は散体しちゃったヘタレでしたし、自分の目でママの生死すら確認せずに散体してるんですよー義常って(笑)。多分、これまでに登場したキャラの中で屈指の頭スカスカちゃんなので、何もママを殺すまでしなくても良かった筈なんですよ。でも、弁形はママを殺しちゃった…。それは弁形がママを殺したかったからなんじゃーないかと、僕は思うのです。弁形がどれ程足掻こうとママは手に入らない存在だったから。
「そこは母親譲りだな」(弁形)
記憶の怪しい竜が弁形の「三打はいい奴」に気持ちの悪い合いの手を入れたのに、弁形はこんな風に返しています。僕はこの言葉に弁形のママに対する明確な好意を感じました。それと似た感覚が弁形から三打にも向かっていて、弁形が別に引き取らなくてもいい三打を骨河として引き取った理由が見え隠れしているように思うのです。弁形はママの事が好きだったんじゃーないかと、僕は思います。しかし、ママにその気持ちは受け容れられる事もなく、それ以前に弁形のママに対する好意が知られる事もないくらいの間柄だった事が弁形のママに対する殺意を助長したのではないかと思うのです。
義常の鍵がなくとも最悪柄骨の授受で利用できる可能性のあるキーホルダーなんかとはママはレベルが違ったと思うんですよ。何せこの世の中で一番難しい「女心」で、どんなに努力しようとも手に入らない※でありますから、手に入らないのであればいっその事自分の手で亡き者にした方がマシ…相手の命を奪う行為が「究極の権力の行使」であると『名もなき毒』で宮部みゆき大先生は訴えていらっしゃいますが、弁形がママを殺しちゃったというのがそれに当たるのではないかしらと…。同時に弁形が三打を引き取ったのはママでは果たせなかった想いを代償しようとしてんではないかと思えます。
弁形が引き取った三打に骨河という名前を上書きしたのとか、三打を自分色に染めたい気持ちが透けて見えます。それでも尚、自分と骨河(三打)の関係が「シンプルに金で繋がる」としたところに弁形の自信のなさが際立っていて、弁形の持つ悲哀を感ぜざるを得ないのであります。そう考えると、やはりそこには弁形が抱いていた何かしらの「愛」が描かれるべきだったと、僕は悔しく思うのです。若かりし日の弁形にあった角(つの)だって切り落とされてたりしますし、例えば弁形の心に渦巻く愛憎が鬼族が抱く人間(族)に対する憧れとして発露してたエピソードでもあればお話に厚みがでたのにね…。
『NARUTO -ナルト-』ではホントにこれでもか!!ってくらい「心の襞(ひだ)」を描かれてた岸本先生が何でこんな事になっちゃたのか?が不思議でならんのですよ。これまでのお話を読み込んでみても「ああ…これは!!」(人生幸朗師匠風)と心に響くエピソードもありませんし、逆に登場人物が悉くクズという要らないおまけ付きで、mjd岸本先生じゃない何処かの馬の骨が描いてんじゃーないのと疑うほどです(笑)。伏線の提示と回収もお座なり過ぎて心底悲しいです。岸本先生には「あの時…泣いてた」を思い出せやー!!と、ここは心を鬼にして訴えたい今日この頃であります。
続きまーす!!(ポケベルだったら”84080”と流すとこですわー)