サムライ8 八丸伝 第35話 侘び寂び 感想⑤
「そんなの…何も感じない
どういう事?」(八丸)
「魚が水の中にいる自覚がないのと似ている
熟練の侍は別だがな」(不動明王)
※ここは「人間が空気の中にいる自覚がないのと似ている」とした方が良かったかと。『NARUTO -ナルト-』で「水魚の交わり」という故事を引用したのがあったけど、魚は水を大切な友達と意識してると思います。水もまた同じ…そんな考察を書いたよなーと思い出しました。あの頃はほんと…楽しかったなー(遠ひ目)
「侍がh粒子の濃度を調節し接続と分離で
メタモルフォーゼを起こす術も
そこに起因するって事ですね」<ガチャ>(達麻)
「……
不動明王様って一体何歳なんですか?」(八丸)
<ガチャ>(達麻)
「時間とは相対的なものでしかない
それに今の私は生きているとも
死んでいるとも言えるパラドックスの中にあり
お前の見方次第で決まる」(不動明王)
※この不動明王のセリフが全てを物語ってるなーと思いました。不動明王がどんなに優れてても凄くても独りぼっちだと何の意味もないのです。生きてる意味も存在する事も他者がいないと始まらない。不動明王の居た孤独を思うと辛くなります。何せ約138億年ですからね(笑)。フツーにメンタルやられまっせ(笑)。
「…です…よね」(さすが達麻師匠の
師匠の師匠だ!何を言ってるかさっぱり
分かんないよ!!)(八丸)
「ん~~~~~つまり!
武神・不動明王様は完璧な神様みたいな
人って事ですね!」(八丸)
「この世のどこにも完璧なものなどない
どんなものでも崩れ歪んでいる
崩れや歪みから重さや引力が生まれ
あらゆるものを結びつけている
それこそが”美しい”本来あるべき姿なのだ
お前やアンもそのあらゆるものの一つだ」(不動明王)
「この広い宇宙のどこにも完璧なものなどない…」(夜叉)
「なるほど…
それが古き「武家”書”法度」にもある
”侘び寂び”というやつですね」(達麻)
「私が造り名付けたプログラムであり
「美」の概念だ」(不動明王)
宇宙のお話は面白いけど難しくて頭から<プス><プス>と煙が上がりそう(笑)。でも、大事なとこなんでここは心を鬼にしてギア上げて行きますよー!!一個前の感想で達麻のセリフの「h粒子と引き合う力……それが不動明王様の正体?」というのが納得できなかったんだけど、引き合う力っていうのは「完全な均衡」が崩れた結果に過ぎないのです。それまでは質量のない(素)粒子が均衡していた宇宙に「h粒子と強いエネルギー」を不動明王が撒き散らしたから物質が生じた訳です。ちなみに天体の重力とはこの空間を満たす素粒子の圧力みたいなものなのです。それが唱えられたのは素粒子の質量が観測されたからなのですが…。
凄く分かりにくいですが、僕らの周囲には見えないけれど素粒子が充満しているのです。そしてそれが激しく全周囲に運動しているんですね。そして、それは天体すら通り抜けて上から下から横から斜めから降り注いでるんだけど、やぱり地面(天体)を透過して来る分は運動エネルギーが削がれるんですね。その結果、上からと下からで差が生じて天体方向に押し付けられている…それが重力の正体であります。だから素粒子の動きを抑制する障害がない宇宙空間では全方位からの素粒子の圧力が均衡して無重力になるし、地球(天体)の中心も同じように無重力になる訳です(理論的にですけど…)。
作中では素粒子の質量の概念と引力や重力を説明する時に、ニュートリノの質量発見以降とそれ以前のニュートン力学やアインシュタインの相対性理論の概念が混ぜこぜになってると思われる節があります。例えば「崩れや歪みから重さや引力が生まれ…」というところなんかはアインシュタインの相対性理論寄りで重力を「空間の歪み」と捉えてるように思います。それに対して侍が「h粒子」の濃度を調節して素粒子の質量をコントロールしてるって言うのはニュートリノ寄りですかね。でも、どっちにしてもこの作中は不動明王の創り上げた物理法則が支配しているんですから問題ありません。
大事なのは不動明王が何で完璧な均衡を崩したのか?というところにあります。不動明王はこの宇宙(世界)に来て先ず最初に「何かを崩す…」ということをやったんですよね。元はと言えば不動明王って僕らの世界のGoogle先生が激烈進化した情報集積体かも知れなくて(希望)、その世界って完璧な均衡ではなかったんですよね。だから物質や星、そして生命が存在して、その結果として不動明王が形成された筈です。つまり不動明王はその時はぼっちじゃなかったと思うんです。いろんな人がわんさかと集まって「あーでもない〜こーでもない」と結構…楽しかったんじゃーないでしょうか?
そんな不動明王が何を思ったのかは知りませんが別の宇宙に出張って一から宇宙を創造したのですが、その動機はやはり自分という情報集積体と作り上げた成功体験に基づくのではないでしょうか?ぶっちゃけ不動明王は見知らぬ別の宇宙に来てみたものの独りぼっちで何もなくて誰もいなくて寂しかったんじゃーないでしょうか?それで「完璧な均衡」を保っていた宇宙の均衡を崩したんだと僕は思うんです。恐らく不動明王は単体で完成されたパッケージだったんでしょうが、孤独にだけは耐えられなかったのです。それは「生命の意味」…というよりは「存在」そのものの意義を考えてみる必要がありそうです。
もしかしたら「その説明をする前に今の銀河の状況を理解する必要がある」っていう語録はこれを説明したかったのかなーって思ったり(笑)。それは冗談だけど、例えばこの世界に自分一人しか存在しなければ、それは存在していないのと同じなのです。うーん…分かり難いですねー。自分の存在というものは誰かが存在して初めて意味を為す…「存在」という概念が観測者に依存している訳です。自分という「個」がどれだけの信念を持ってそこに存在しようが、自分を観測してくれる誰か(観測者)が居なければ、そもそも「存在」という概念が成立しないのです。だからぼっちの不動明王は存在しないのと同じ…だった。
それはきっと究極の孤独であったと思います。だから不動明王は「完璧な均衡」を崩して八丸達の宇宙を創生し、生命を育み、そして導いたのです。不動明王は侘しくて侘しくて侘しくて…そして…寂しくて寂しくて寂しくて…堪らなかったんです。それで生み出したプログラムが「侘び寂び」って言うんだから、どんだけ寂しかったか分かりますよね(笑)。ま…しかし、このネーミングが何で「武家書法度」(これ書いた時は「武家諸法度」だと思ってたのさー)に由来してる…というような達麻のセリフには違和感ありますが、この知識は不動明王の提供だと思うのでやっぱ異常にアクセス数の高かったスレの間違った情報が抽出されたんですかね(笑)。
そのアルゴリズム…問題あるやろーと思ったりもしますが、この宇宙で不動明王が絶対的な存在ですから文句は申しますまい(笑)。それに何百億年も孤独に耐えてこの世界を見守り導いて来たんですから、そのご苦労を考えてら少々の事はいいとしましょうや。しかし、何のプログラムなんだろうーと思ったら「美」の概念て、剣術とか全く関係ありませんやん!!(笑)そもそも「美の概念」のプログラムって何だよッ!!って思うんですが、不動明王もぼっち歴が相当長くてメンタルやばかった筈だし、こんな風に誰かと話せたのが嬉しくて話もかなり盛ってると思うので許して上げて下さい(笑)。
続きまーす!!