サムライ8 八丸伝 第38話 アンと八丸と五空 感想⑥
「姫にとって
運命の侍は一人だけど
運命が必ずしも
”恋”に発展する訳じゃない
君と姫の間にあるのは赤い糸か
はたまた縛りつけた鎖か
どっちかなぁ?
ひとつ言っとくよ
恋は人がするものだ」(五空)
「兄さん…」(アン)
「そして恋は自由であるべきだ」(五空)
「何でオレにくってかかる!?」(八丸)
「……
ボクに姫はいない
だから君のような何も分からない
侍を見ると我慢ならないだけだ」(五空)
「……」(八丸)
五空のセリフを分析すると五空が「論理的思考」で八丸を追い込もうとしてるのがよく分かります。例えば、「姫にとって運命の侍は一人」で「恋は人がするものだ」のコンボで、「八丸はちゃんとした人ではない(人としてちゃんとしてない)」から「ちゃんとした人(人としてちゃんとしてる)」の五空がアンちゃんと恋をするべきだ→だから八丸はアンちゃんから手を引け!!と五空は八丸に言いたいのです。それと並行して「姫にとって運命の侍は一人」だけど「運命が必ずしも”恋”に発展する訳じゃない」→「八丸だけがアンちゃんと恋に落ちる訳じゃない(権利があるわけではない)」と五空は言いたいんですよ(笑)。
「論理的思考」には「A=B」で「B=C」であれば「A=C」とする演繹(えんえき)的な論理展開のアプローチがありまして、五空はほぼほぼそれで八丸を潰しに掛かっております(笑)。対して八丸は「論理的思考」をする前の前の前の前のもっと前にいる…というか獣(笑)ですから、五空の論法の筋道とか、演繹(えんえき)か、帰納(きのう)とか関係なく、自分の考えからして出力できない=言語化すらできずにいて、自分の中に渦巻くもっと原始的で未分化な五空に対する憎悪に支配されています(笑)。五空が知性のある人なら八丸は猿です…猿(笑)。そしてそれが八丸に僕らが感じる卑屈さの正体なのです。
八丸にはどうしていいか(五空にどう相対すればいいか)分からないのです。八丸には論理的に物事を考える能力がまだ備わっていないので五空の理路整然とした問いかけに応える術(すべ)がないのです。本当に人と猿ぐらい違います。ここで八丸が「論理的思考」ができたなら五空が認める「姫にとって運命の侍は一人」を足掛かりにして「八丸はアンちゃんの運命の侍」であるから「五空は関係ない」(=邪魔はするんじゃねーよカス!!)と言えましたし、「(二人に繋がりは)赤い糸か縛りつけた鎖か?」の問いに「赤い糸も鎖も運命である」から「運命で繋がらない五空にはどちらも無い」と言い返せたでしょう。
八丸は思考そのものができていないのです。思考ができないから本能的に五空を忌避するしか手がない。かと言って剣技でも勝てず、その他の日常生活行動でも及ばない。全てにおいて敵わないのです。普通はそれ程差があったなら強い方が構わないものですが、五空は八丸に運命の姫が存在するのが許せないのです。こんなに良く出来る自分に姫がいないのに何でお前みたいなカスに…という気持ちなのです。ま…五空はそれを隠したりせずちゃんと八丸に告げてますけどね(笑)。ここまで五空は正論のみで八丸を圧倒しています。八丸を散体に追い込むまであと少しです(笑)。でも五空が言及しない事もあります。
言及しない=触れていない事柄があるんです。それは八丸の「引力」です。正確には言ってないんじゃなくて茶化しただけで踏み込まずに放置しています(仲間の座標が分かるなんてすごいね八丸…次はどんな奴がボク達の…)。八丸の「引力」は八丸とアンちゃんの「運命」と同じく五空にはどうしようもないアイテムなんですね。だから五空は「運命」に立ち向かわずに躱してるし、同じように八丸の「引力」は放置してるんです。五空がどんなに出木杉君であろうと、それらは立ち入ることができない特別な領域だからです。五空は自分が有利な部分のみを採用してて、不利な部分は排除しているんですね。
八丸なんて議論の内容がどんなでも反論できないんだからテキトーに言いくるめられますが、それを五空がしなかったのは彼に良心があったからだと思います。自分の中の正義に反してまで八丸に勝ったとしても意味がない(それだと八丸を否定した事にならないから?)のでしょう。五空の憎悪は一貫して八丸の「チート」に向いていて、それ以外の八丸の不備を攻撃している点に注目すれば八丸が五空とどう闘うべきか?…というか、達麻の言う「本当の敵」が見えてくるのですが、八丸が獣過ぎて(笑)…「論理的思考」どころではなく「問題点の抽出」ができない…。だからあんなに目つきが険しくなるんだなー(笑)。
続きまーす!!(考察って「論理的思考」の訓練にはピッタリなんだよなー)