サムライ8 八丸伝 最終話 パンドラの箱 感想②
「ずいぶん成長したな」(アタ)
「実力もだ
今のオレは武神不動明王だからな」(八丸)
「武神の名を軽々しく
口にするなと言ったはずだ!
若輩者の戯れ言など認めん!!」(アタ)
「若輩者ね…
時間は相対的なもんだ
お前とオレが
同じ速度で生きてると思うな
それに武士…侍・流派
武神…そんなものはもう
どーだっていい
そんなもん
人生の小さな変化の一部についた
長ったらしいただの肩書きだ
それを全部ひっくるめて
オレをどう見るかだろ?
それでもどう見るかは人による
元金剛夜叉流で
達麻師匠の弟子…
裏切り者で烏枢沙魔流
無比力のアタ
アンタにももっと別の
長い大層な肩書きが
あるんだろーが
オレから見れば
アンタは——
親の仇だ」<スッ>(八丸)
八丸が別時空で猛烈な成長を遂げた事になっておりますが、そんな八丸に対するアタさんの反応が僕には極めて真っ当に感じられます。八丸が何をしたと言うの?何を成し遂げたの?散体して偶々悟りを開いて不動明王のいる「上層次元」に入り込めたのにしても、あれって八丸の勘違いで偶然そうなっちゃっただけですよね。八丸は自分を救いに来たナナシ君が偶然「七志」を名乗っていて、それがアンちゃんの亡兄の元服名だった事から、自分が散体しても誰かと(気持ちが)繋がってれば消えないかも知れない!!という半ば荒唐無稽な思い込みで散体してみたら上手く行っただけでこれを「悟り」と評価してはいけません!!
そもそも八丸が自分と繋がってると思い込んでいるアンちゃんの亡兄には一度も会った事もなければ、心が通じ合うエピソードもありません。八丸はアンちゃんからその存在を知らされただけで、カスりもしてないキャラです。しかも、切腹の儀に失敗して亡くなってしまったから散体すらしていないので、「上層次元」で不動明王のネットワークの一部になる「精神体」の要件を満たしていません。それは8パパも同じ。その二人の精神体(イメージ)が八丸(一角)が散体したロッカーキューブに手を押し当てて祈ってましたけど、じゃー「精神体」とか「上層次元」の意味ないじゃん!!と、何だかもーめちゃくちゃなお話(笑)。
人が「切腹の儀」でロッカーボールの承認を受けてキーユニット(鍵)と侍魂にメタモルフォーゼして、それがロッカーボールに入って侍になるんだよね。そして、その侍が散体して悟りを開いた者だけが「上層次元」に達して不動明王になる…というのが不動明王が考え出した「侍システム」だと思うんだけど、それを八丸は全く無視してるだけなんだよね。不動明王がそんな八丸に何も言わないから八丸は「これでいいのだ!!」と思ってるんでしょうが、それにしてもイキリ杉。実際、八丸が修行熱心で達麻に師事してしっかりと修行を積んでいた…とか、これまでのミッションで大いに活躍して武功を挙げた…とかでもありません。
主人公でありながら声援や合いの手を入れる程度のモブでしかない八丸が、いきなり「不動明王だ」とか「実力もだ」とか言っても、もしここにミルコが居たら「おまえは何を言っているんだ」と睨みつけられて震え上がったんじゃーないでしょうーか(笑)。回し蹴りで頭破られるよ!?(笑)岸本先生は何か思い違いをされているのではないですかね?取り敢えずテキトーに(何の考えもなく)何かをやっていればそれがいつか(偶然に)繋がって役に立つと真剣に考えてませんか?それを第23話「それが何の役に立つ!」感想⑤でも指摘したけれど、僕はそれは絶対に間違いだと思うし、少年少女には見習って欲しくありません。
『NARUTO -ナルト-』が空前の大ヒットを遂げたのはお話と画が素晴らしかったからだと思いますが、実は編集さんがほぼほぼ作っていて岸本先生は言われるがままお描きになってただけだった…とか?だから、「他人の手が入り過ぎて自分の作品だと思えない」というようなコメントが残っている?そして、今度こそは自分のアイデアだけで作品を作ってヒットさせたい!!と思って『サムライ8 八丸伝』を始められた。岸本先生は『NARUTO -ナルト-』のノウハウと仰るが…あの頃、編集さんにボツにされたネタ?!で、結果…一年持たず打ち切りの憂き目。それは別にどうでもいい。先生が描きたいものを描けたのですもの。
これは岸本先生の作品であります。岸本先生の描きたいように描けばいいのです。それが面白いか面白くないかは読者が判断する事。結果、面白くなかったから打ち切られただけです。そこから分かるのは岸本先生が『NARUTO -ナルト-』の成功において何も学べなかったのだという事。そこで成功の法則…と申しますか、面白い作品を作る為に何が必要か?という事…要するに「ノウハウ」を学ばれなかったんだろうと『サムライ8 八丸伝』をしっかりと読ませて頂いた者としては感じています。『NARUTO -ナルト-』の世界的な大ヒットと八丸が散体時、悟りを開いて偶々不動明王になった『サムライ8 八丸伝』の相似形…。
どちらも偶然だったという事。何も考えずにやってた事が偶々繋がって大したものになった。岸本先生にはそれが当たり前なのではないですか?だから、『サムライ8 八丸伝』で八丸に考えさせようとしないし、学びも努力も要求しない。そんな事をしなくても気付いたら成功してるから!!みたいな人生観が岸本先生にはあるんじゃないですか?現に八丸も自分だけの時空でみるみる成長して、目を瞑ってジッとしてるだけで金剛夜叉流の全てを習得して、ステータスも「∞」になりました。免許はダウンロード。修行はボチボチ。悟りは偶然。知らない間に不動明王になってました…そんなのアタさんじゃなくても怒りますって(笑)。
そして、一番頭に来るのが、アタさんの「肩書き」を八丸がつらつら論(あげつら)うところ。「大層な肩書きが…」とかまあ…利いた風な口を叩いてますが、偶然手にした「不動明王」という「肩書き」に寄っかかってんのは八丸じゃーないの!?八丸は(偶々)不動明王になったから修行も努力もオミットして金剛夜叉流の全てを習得しちゃったのにね。ただそれだけの奴が二つの流派で免許皆伝まで成し遂げた先輩をこき下ろせるメンタリティが僕には理解できない。そして、これが岸本先生の思考そのものなら、岸本先生が『NARUTO -ナルト-』の作者という「肩書き」に寄りかかってる姿は僕には一番…八丸らしく見えるよ(笑)。
少年少女は心して聞いて欲しいです。偶々成功する…という人生もあるでしょう。でも、何も学ばずに成功したところで、その成功においても何も学べないから、ラッキーが永遠に続かない限り、次のチャンスで必ず失敗します。事実、『サムライ8 八丸伝』は歴史的な駄作であります。少年少女の教育においては「有害図書」と言われても仕方ないくらいの代物です(笑)。少年少女はこれをどう見るか?どう考えるか?であります。少年少女にはただ無為に事物をばら撒くのではなく、常に学び、常に考え、努力を惜しまず、精進を忘れず、自分の目的に向かって邁進して欲しいです。行動して欲しいです。一生を懸命に生きて欲しいです。
続きまーす!!