サムライ8 八丸伝 第13話「勇を見た」②
<ズズズ…><ハア><ハア>
<ガクッ><ザッ>(八丸)
(機転が利く…
だてに7兄弟に似ているわけではないか…
惜しいが……)(アタ)
<ズズ>「お前は本来存在するはずではなかった
鍵は7つでよかった…お前は余りもの———」(アタ)
はい…それでは第13話「勇を見た」の感想の続きです。この暑さの所為か体調が悪くて筆が渋って申し訳ない。皆さんも暑き折、お体にはご自愛下さい。さて、八丸のファンタジスタで一旦、間合いが切れたとこからですね。アタさんが八丸との間合いをかなり大きく取っています。これは急速に成長する八丸を警戒してるからで、剣士としてのアタさんの力量を感じさせます。そして、同時に八丸をよく観察してますね。アタさんは人をよく見ているんです。そして、敵であろうと八丸をちゃんと評価しています。
アタさんはめちゃくちゃ悪辣なキャラとして描かれてはいますが、人間的に彼をよく見ると、実はちゃんとしてる事に気付けると思います。人ってただ見るだけ、ただ聞くだけでも何となく理解はできるんです。でも、もっとしっかりと関心を持って、心を向けて見たり聞いたりしなければ、本当の事は見えないし聞こえないのです。大凡、物事の本質を見極めるとは、そういう人の心構えが大きく関係してるんです。僕はこれがこの物語の一つのテーマとも言える「心眼」であると考えます。
アタさんには他者に向ける「心」があるんです。「心」と言うのは科学的には「脳の機能」であります。もっと簡単に言うと人の「考える力」です。それは僕らが生まれ落ちてから今日まで取り込んだものを自分の中で蓄えて構築したその人の「思考」でありましょう。アタさんをよく見ていると、確かに彼は「ワル」だけど、決して「クズ」ではないように、僕は思うんですね。それは何でだろうとここんとこ考えてたんですが、それはやはりアタさんに「心」が備わっているからなんだろう…と思い至りました。
ま…ややこしいお話はこの辺にして、アタさんが「7兄弟」なんて大ネタをポロッと出しましたね。これは恐らくこのお話の最後で出てくる八丸にそっくりの侍達なのでしょう。八丸が「八角」だから、一角から七角と言う名前なんでしょうか!?(笑)この件はお終いの方のパートでやりますね。しかし、これだとアタさんたちは既に「7つの鍵」の収集に成功してる事になるんです。それに八丸を「余りもの」とまで言ってるから、さっさと「パンドラの箱」を開けちゃえばいいのになー…と素朴に思います。
八丸は余りものだけど何らかの事情で必要!?例えば「パンドラの箱」の鍵がランダムに変化して「8つ」ある鍵から「7つ」の組み合わせでないと開かない…とか。しかし、それも中途半端だな(笑)。そもそも何で「8つ」できてしまったのか?が謎ですけど、悪態つきながらもアタさんが八丸の奪取に執着するのは八丸が必要だからです。それと、アタさんが「惜しいが……」と言ってるじゃないですか。これは八丸もアタさんとこの「7人」と同じく八丸には「見所がある」と評価してて率直に嬉しいです。
<ズズズ…>(八丸)
<ギュン>「これ以上煩わせるな!!」(アタ)
<ガッ>(達麻)
「!」<サッ>(達麻)
「すまん!待たせたな!」<サッ>(達麻)
「達麻師匠!」(八丸)
「こいつを相手にして
よくねばったぞ!…八丸」(達麻)
<サッ>(アタ)
アタさんも時間がありませんから、サッサと八丸をバラしにかかるんですが、そこに師匠・達麻が反撃の狼煙!!!で、俄然、少年誌的な魅せ場が到来します。やっぱ、週ジャンはこうでなきゃ!!と、僕は思うのであります。折角、刀とか鉄砲を持ってるんですからベチャクチャ喋ってないで盛大にドンパチやんなきゃ!!これはチャンバラのお話なんだもの!!…えーっと、おっちゃん的な用語で少年少女にはあまり馴染みがないかもしれませんが、「チャンバラ」とは「剣劇」の俗称です。
一説によると、刀で斬り合う音や様子を示す<チャン><チャン><バラ><バラ>という「擬音」に由来するそうです。昔は「チャンバラ映画」とか言ってた記憶があります。子供の頃は「竹光」という模造刀があって、昔は竹製だったのが簡易版のプラスチック(プラッチックと言ってた…)の白い刀で斬り合ったなー…。家族で旅行に行っても土産物屋で売ってる竹光が欲しくて駄々捏ねて買って貰った…貰った、貰った…(遠い目)。話逸れまくりですが、久しぶりにこういうシーンが見れてオッチャンは嬉しかです(笑)。
達麻がかっこいい!!達麻の上段一閃の侍魂の残光が圧倒的で、アタさんの血吸・童子切高綱を明らかに圧してます。本当はこんな風に刃を交えると100%刃こぼれしますが、侍魂のオーラ(仮)の形状を鈍くして対処してるんでしょう。堅い話すると一般的にはこんな風に刃は合わせずに斬っては離れを繰り返したり、出会い頭の突きで決着みたいに結構淡白です。でも、子供の頃のチャンバラはやっぱこうやって刃を交えて鎬(しのぎ)を削ってましたんで、僕的にもこれはこれでアリでーす!!(笑)
復活した達麻の登場にアタさんの間合いが一気に広がりましたね!!八丸の時の何倍も広いです(笑)。剣士としてこれは達麻に贈る最大級の賛辞と言えましょう。やはりアタさんはちゃんと人を見て評価できる人なのであります。そして、そんなアタさんに育てたのが達麻でありまして、ここから達麻の存在というものが、ややもすると心が折れそうになっていたアンちゃんや葉芽道、それに八丸を勇気付けていくんです。達麻の心配り…というんですかね。立ち振る舞いや言葉の一つ一つが温かいんですよ。
<ゴゴゴゴゴ>
「師匠が大事な時に寝ちゃうのは
もう織り込み済みです」(八丸)
「フン…!」(達麻)
「ダ…ダルマさん!
は…八丸くんの体が…!」(アン)
「…安心しろアン!
八丸は死にはせん」<スタ><スタ>(達麻)
<ズズズ>(逆にこれで動ける!)(葉芽道)
「ダルマ様!オレは父親の方を!」(葉芽道)
<ザッ><ザッ>「よし!
頼んだぞハガミチ」(達麻)
達麻が一人一人に何かしら助言する時に、それぞれの名前をちゃんと付けるじゃないですか!!きっと、みんな、これまで不安だったと思うんですよ。いきなりアタさんが斬り掛かってきて達麻が深手を負ってしまって、八丸も頑張ったけどズタボロにされましたから。そんなそれぞれの気持ちを達麻は察した上で、皆を労(ねぎら)っているのです。だからここで達麻はそれぞれに、ちゃんと見てるよー!!これまでよく頑張ったなー!!もう大丈夫だよー!!という想いをそれぞれの名に込めて贈っているのです。
一時が万事ですから、達麻はこれまでこうして弟子を導いて来たのだと、僕は感じています。騒がしくて落ち着きのない(僕の苦手な…)八丸ですら、達麻は何とかして良き方向に導けるように腐心していたように思います。間合いが切れて訪れた静寂の中、地面をしっかりと捉えた達麻の足音が平常心を刻むメトロノームのように響いています。達麻の存在がこの場に落ち着きを与えているのです。しかし、決して「落ち着け!!」とか「狼狽えるな!!」とは言いません。優しく名を呼ぶようにただ居るだけです。
しかし、それでも達麻の気持ちはよく伝わっています。達麻が、それぞれの名をちゃんと呼ぶだけで、この子らは安心できるのです。それは達麻の心がちゃんとそれぞれに向いているからです。ちゃんと達麻の心がそれぞれに配られているのです。こういう達麻の「徳」というものが人を育てる為には大切なのだと思います。僕が子供の頃に達麻みたいな先生が居たらどんなに幸せだったか!?もっと違う今があったんじゃないか?と思ったりもしますが、子供を導く人の責任とは斯様に重いのであります。
<ズズ><ズズズ>「!?」<ズズズ>(八丸)
「八丸…よくぞ見つけたな」(達麻)
「え?」(八丸)
「拙者…お前の中に——…
勇を見た」(達麻)
<ズズズ…>(八丸)
「これでやっと拙者の長い説法も
減らせるな…八丸」(達麻)
「……」(アタ)
「……後は任せろ」<ザッ>(達麻)
そして、達麻が八丸に心を向かわせます。アタを向こうに回し善戦した八丸の中に達麻は「勇を見た」と伝えるのです。八丸はその言葉にこれまでの軽妙な返しもできずにただ無言です。八丸は入力がすごく苦手で他者の話が聞けない子でありましたが、達麻のまっすぐな言葉が余程、八丸の心に刺さったのでしょう。そして、八丸はここまでの自分の行動と気持ちを思い返し、それが「勇」だったと知るのです。八丸は「勇」を確かにその心に刻むのです。その本心の気付きに言葉は最早、無用なのであります。
遠くに間合いを切って待つアタさんがその一部始終を無言で見守っています。アタさんは達麻の一番弟子ですから、達麻がどんな人で、どんな風に教えるかを知っています。だから、不安に押しつぶされそうな雰囲気を一瞬で吹き飛ばした達麻をアタさんがどんな気持ちで見ていたかを思うと胸が痛いです。アタさんにもちゃんと「勇」があるのも、それには達麻が大きく関わっているのは明白です。アタさんと八丸は別の人格だから教え方は違っていても達麻の本質は変わりませんから、アタさんも思い出している筈。
それがこの後のアタさんの言動に滲んでて、アタさんの心の内が生々しく描かれて行くんです。愛と憎しみとは全く正反対の気持ちではなくて、ほんの少し方向が違うだけなんです。ほとんど同じものと言ってもいいかも知れません。マザーテレサは「愛の反対は無関心」と言ったそうです。アタさんには今も昔と変わらず達麻に対する関心があります。それは愛があるという事です。しかし、その気持ちが達麻に受け入れられない時、愛が憎しみに変貌する…。愛が大きければ大きいほど、憎しみもまた深くなる…。
続きまーす!!