サムライ8 八丸伝 第33話 相棒 感想④
「アンタは…父の
信頼できる弟子だった
なぜ…父と母を?」(三打)
「…義常は
オレに無いものを
全て持ってやがった!
だから欲しかったのさ
人は完璧を求める
己にも他人にも
誰しも欠点を秘密にして
完璧を装い合う」(弁形)
「そら強かったのよ!
道場の仲間からは神童なんて
呼ばれちゃってさ———!」(八丸)←このカットは要らんわ
「義常は自分だけじゃなく
オレ達に完全を求めた
分かるよな?
奴の下でしごかれた仲だ
もしお前が侍になっていたとして…
いずれ父親に潰されていたはずだぜ
そうなる前にオレがお前を
救ってやったんだ」(弁形)
「また都合のいい解釈だな」(千)←これはもっと要らん!!
「ホントにそう言いきれるか?
義常をよく思い出してみろ!
お前の本当の味方はどっちだ?」(弁形)
「……」(三打)
弁形がでか過ぎて運ぶのが大変だー…みたいな流れの中で三打が銀河球連邦の千隊長を制して弁形ににじり寄ります。おかしいなーと感じるのは、三打も千ちゃんから見れば犯罪者なのに刃物(侍魂)の使用を許してるとこですかね。その上、凶器を所持したまま苦労して捕まえた容疑者に接触させてますけど、いつの間にか三打が仲間になっちゃってるのね。ウミガメちゃんに忍び込んで居直り強盗になった時も同じように拘束具も直ぐに外されて気が付いたら仲間になってて、それが実は弁形の手先でしたーってなったのにね(笑)。結局、三打は人型ホルダーを操って八丸達を殺そうとしたの忘れてる?!
そんな三打が実は弁形に騙されて→両親を奪われ→弁形の手先として悪事を働かされていたのだとしても、それはちゃんと取り調べた後に裁判等の然るべき手続きを踏んでから正されるべきだと思います。三打の扱いがこんなだから三打は自分の仕出かした事の重さを感じられていないように僕は思います。その前に何でもかんでも弁形の所為にして自分を正当化するまでありそうで怖いです。そして、そう言う状況を警察機構に相当する組織のある程度の立場役割(精鋭特務隊隊長!!)を有する千ちゃんが容認してるのが、僕にはどうしても看過できません(笑)。どう見てもこの時点で三打は許されてまーす。
「女に甘く大それた犯罪もできねェ小心者で」(弁形)
この少し前に弁形は三打をこんな風に評価していました。これはきっと三打は大した犯罪はしてないよー…っていうネタ振りだと思われますが、微罪であれ罪は罪という認識がないのはおかしいです。特に千ちゃんは連合国家(=連邦)の実力組織(=軍隊や警察)の一員なんですから、それを曲げて三打に好き勝手させるのはどう考えてもおかしいです。これは下手したら千ちゃんが処分されるような判断ですから、こんなのが罷り通ってる時点で銀河球連邦なんてガバナンスもコンプライアンスもガバガバでどうしようもないガバメント(笑)なんだろうなー…と思います。ちょっと硬いけど真剣に読み込むとそんな評価ですかね。
ま…千ちゃんは侍の端くれとして義常という剣豪をリスペクトしていて、自分の手がけた案件で縁あって義常の子が絡んできて敵討ちをアシストできる僥倖(ぎょうこう)…なんて考えてるのかも知れませんけどね(笑)。そういう間違った優しさが三打の気付きを阻害していると認識できないところに千ちゃんの頭の悪さが伺えますね。ぶっちゃけこんなの優しさでも何でもなくて緩いだけです。そして、この光景を目の当たりにして誰一人として声を上げない不思議(笑)。もう倫理観とか道徳とかいろいろとダメ過ぎて、この世界で生きてる人々の不幸に対しては心からお悔やみ申し上げる(笑)。
「人は完璧を求める
己にも他人にも
誰しも欠点を秘密にして
完璧を装い合う」(弁形)
三打の詰問で弁形は「だから欲しかったのさ」と動機を語った後、「人は完璧〜装い合う」と唐突に語り始めますが、これは弁形のセリフですよね?何だか脈絡がなくて分かりにくいですが、弁形が三打に語り始めたー!!という風に僕は解釈しましたけど、それが結局、三打が義常に潰される前に助けたんだよー…っていう弁解に繋がっています。これは苦し紛れの言い訳のようでもあり、弁形の本心の吐露でもあり、弁形の行動の本質に三打に対する「愛」を探し求めた僕としては若干<グッ>っと来る場面だったのに、それを千ちゃんが「都合のいい解釈」と水を差すのに軽ーく殺意が芽生えました(笑)。
ぶっちゃけ…弁形のそれも千ちゃんのそれも大きなお世話なのですよ。アンタらちゃんと三打の気持ちを考えてるんですか?!って僕は思います。弁形もホントに義常から三打を救い出したかったのなら横から詰まんないチャチャを入れる千ちゃんをもっと窘めなきゃ。千ちゃんなんか三打に芯から反省する機会を与えていない時点で三打の事なんかどうでもいいと思ってるのバレバレなんだから発言する権利なんてないのだし。まったく…この作品に出て来る大人って子供らを余りにも大切に思ってないのがホント嫌なんですよ。ここで弁形の真意を三打が理解しないんだったら弁形は本気だして叱れよ!!って僕は思うのよ。
この作品では大人が子供を叱るシーンが極めて少ないです。若干、アタさんが礼儀知らずの八丸を叱責したのがありましたが。それに合わせて葉芽道とウーン姫が不動明王のお堂で傷だらけの七志と対面した時に1ミリもその傷に違和感を感じず頓着しなかった描写があったように、この世界の大人が子供らに無関心なのが、僕には極めて遺憾なのであります!!関心があれば子供の間違いにも気付く筈。そしたらそれは違うと叱る筈。それがないこの世界って何なの!?「愛の反対は無関心」(マザーテレサ)と申しまして、全ては子供達に対する大人達の「愛」が無いところに収束しちゃうのが極めておかしいのさ。
続きまーす!!