サムライ8 八丸伝 第20話 相棒 感想①
「めっちゃ痛てェーーーーけど!!
取ったぞォーーーーー!!!」(八丸)
<ピッ>(32対1)
「……」(八丸)
<ドサッ>
「アレ…?
どうしたらいいの
これ?」(八丸)
「何が起きた?
視覚野に情報をくれ」(達麻)
『了解』(ナビ)
<バッ>「ニャン!」(早太郎)
「だ…大丈夫
は…八丸くん!」(アン)
<たっ>「や…やり過ぎだよ!」(アン)
「やり過ぎねーと
アタには追いつけねーから」(八丸)
「発想は良い……
だが首を拾う仲間がいないときは…
その手の行動はやめておけ」(達麻)
発想はいいんだー!!??思わず、ボーボボのビューティに突っ込ませたくなりました(笑)。しかし、余りにも八丸の行動が突飛過ぎたんですね?達麻は何が起こってるのか?全く理解できていないようで、ナビに視覚情報を提供するように要請していました。でも、それができるなら常時、ナビが達麻の目の代わりになれば済むんじゃないでうかね?それか達麻の目を直せばいいんでは…メインカメラがやられただけだ!!世代なもんで(笑)。でも、そうしないのは何か意味がある…というか、見えないから捗る…みたいな必然が達麻にはあるのでしょう。
達麻は目が見えないけれど、日常生活においても、戦闘行動においても不自由していません。それは達麻の豊かな経験から導き出される類型からある程度、状況を把握できるからでしょう。しかし、それが単なる思い込みであってはならないので、達麻は極めて慎重に物事を考えるようにしていると思います。そして、自分の残された外部入力…聴覚や嗅覚、触覚、味覚などなど…の情報の精査を重視している筈です。きっと、それを研ぎ澄まして行った先にこの物語でいうところの「心眼」が在るんではないかと、僕は考えています。
達麻は目が見えません。だから、聞く事を非常に大切にしています。きっとその姿勢がアンちゃんや八丸に良く働いているんじゃないでしょうか?達麻が一瞥(いちべつ)すればアンちゃんや八丸の事だって凡そ解るのでしょうが、見えないからちゃんと聴く姿勢というものが生まれます。ちゃんと聴くから、二人だって達麻に心を開くんですよ。しかし、そんな達麻をしても今回の八丸の首チョンパ(ふ、ふ、古ッ!!)はもう何が何だか分からなくてナビに助けを求めてしまったんですね(笑)。恐らく類型が皆無の未曾有(みぞうね…麻生太郎さん!!)の出来事…(笑)。
しかし、ここでも達麻は八丸を弾かずに「発想は良い……」と一度受け止めています。先ず肯定から入っているんですね。これが僕だったら、そのまま死んでろッ!!…となるところですが、やはり教育者としては達麻のように在る冪だと思います。達麻の聴く耳が八丸を安定させているのです。達麻も若い頃は随分とブイブイと言わせてたんでしょうし、金剛夜叉流のNo.2ですからね。そんなお偉い人が八丸みたいな子に直接関わる事なんてリアルじゃまずないと思った方がいいです。でもここに来て、何で達麻が猫の姿で目が見えないのかが何となく見えてきましたね。
続きまーす!!