サムライ8 八丸伝 第30話 潜入 感想⑤
「ソレきつくない?」(八丸)
「う…うん大丈夫」(アン)
「なぁ骨河ともう一つの名……」(竜)
「三打だ」(三打)
「どっちの名で呼んだらいい?」(竜)
「……」(三打)
「もう骨河はいい
三打と呼んでくれ」(三打)
「分かったこれからは
えっと…何だった?」(竜)
「三打だ」(三打)
「その名前まだ慣れないな
当分は覚えられないかも」(竜)
「だな…」(三打)
「オレの本当の名前は何だろうな?」(竜)
「…!」(三打)
「もう……
お前に秘密はないのか?」(竜)
「あぁ…ねーよもう
知られたくなかった事も
知りたくなかった事も全部な」(三打)
「よかったな」(竜)
「何がだ?」(三打)
「自分のありのままを
知ってもらった方が」(竜)
「偽りなんかあるわけねーだろ!」(八丸)
「相棒って感じがする」(竜)←ズラしたー!!!
「今のお前と八丸はそう見える
うらやましいよ」(竜)
「バカヤローいい相棒だよ
まったくお前は!」(三打)「相棒って?」(竜)
「お前だよ!」(三打)
「…いつか
お前の本当の名前を
オレが見つけてやるよ…」(竜)
「名前が変わっても
やっぱりお前はいい奴だ」(竜)
「……」(三打)
「えっと…誰だっけ?」(竜)
「三打だ
いいかげん覚えろ!…ったく」(三打)
竜が言う「ありのまま」ってのが喉の奥に引っかかって数時間…それがなかなか抜けないブリの骨のようで、ご飯を噛まずに飲んでみたり、指を突っ込んでみたり、いろいろと試してみましたがダメでした(笑)。骨河が三打に変わったのが、その契機でありましたが、骨河は骨河で三打も満更でもなかったんじゃなかったのかと、ややこしいことを僕は考えていました。今から思えば骨河と弁形の関係性というものは「金で繋がる」のみの…一般的な無味乾燥なそれではなくて、弁形がおぼこい骨河を大切に育てた疑惑…っていうんですかねー…期待みたいなものが僕にはあるんですね。
一つは骨河(現・三打)が弁形’sビューの映像で弁形の手を一発で識別した描写がありまして、弁形の手のみでそれを弁形と言い当てる経験が骨河に存在したと考えれば、骨河と弁形の濃密なフィジカルな関係が想像されます。それは別にエッチィものでなくとも、児童を育てる親の手と申しますか、弁形がまだ幼い骨河の身の回りの細々とした世話を人並みに行ってきた痕跡を感じるのであります。幼い子供だった骨河がお金を稼ぐ手段はそうそうなかったと思うので、少なくともその頃は弁形は無給…つまり、お金抜きで骨河を面倒見てた筈なんです。弁形は一生懸命、骨河の面倒を見て、骨河はそうする弁形の手を見ていた……。
だから、骨河は弁形の手を一発で識別できたんだと、僕は思うのです。それを知れば骨河は自分の存在を支えてくれた弁形に意識したと思うのです。失った親を弁形は補完したのですから、それはもう骨河にとっては親も同じ。そして、そこにはきっとお金では測れない別の感情が宿ります。そして骨河にはそれが「愛」と感じられたのではなかろうかと、僕は想像しています。だから、若干の逡巡を骨河は示しています。自分を「骨河」とするのか?「三打」とするのか?竜に何と呼べばよいかと問われて、骨河は自分を「三打」だと言いましたが、それに至るまでに若干の揺らぎがありました。その刹那には人が忘れてはいけない感情があったように思うのです。
ちなみに…本当の問題はそこではありません…がアワワ ヽ(´Д`;≡;´Д`)丿 アワワ…。ところで、僕は作中でキャラの名前が変わるのが好きではありません。めちゃくちゃ細か過ぎて分かりにくい拘りなんですが、少しお聞き下さい。実は「コツガとリュウ」においては登場時、カタカナ表記だったんですよ。それがお話が進むにつれて漢字表記の「骨河と竜」に変遷したんです。それ以外に『サムライ8 八丸伝』の表記が結構怪しくて、特に酷いのが「オレ」で「俺」の漢字表記と混ざってるんです。それが作中、「オレ」だったり「俺」だったり、一コマでそれが混在する回もあって、それには流石に「あ”ーッ!!!」となってしまって本を閉じました(笑)。
そんな程度で嫌なのに「骨河」が「三打」に変わるんですよ!!そんな何の脈絡もない変化に耐えられますか!?(笑)これが校正のチェックミスとかだったら、ちゃぶ台ひっくり返してサンマの塩焼き何処かに飛ばしながら怒鳴りたいくらいです(笑)。うちの愛犬だったら要領よく近場の電柱の陰から<ジーッ>っと様子見してると思いますが、キャラの名前が変わるって、そのくらい大きな環境の変化なんだけど、この作品は普通にそれがある…。それがちょっと嫌なんだけど、ま…岸本先生の思うままに…の精神で受け止めるとしまして、それと竜の言う「ありのまま」は位相があると、僕は考えます。
この場合…「名前」というのは「出自」を表すと、僕は考えます。三打は遮那家といういい家に生まれたボンボン(の名前)です。父親は八艘飛びの義常であります。良家&名血です。しかし、それを知らない竜は骨河が「いい奴だ」(余談ですが「奴」も「ヤツ」とまちまちに表記されてますねー)と言っています。この場合、竜は骨河のバックグラウンドなんか知らない訳です。骨河という人間そのものにフォーカスして竜が評価しているんです。僕はそれこそが「ありのまま」なんじゃないかと思うのです。その人をちゃんと見れば、その人がどんな血筋とか境遇とかがその人の評価に全く関係なくなる!!と思うんです。
八丸の場合は弁形の記憶から骨河(三打)が親を殺された部分にシンパシーを感じて肩入れしてる訳です。それが骨河だろが三打だろうが関係ないんですよ。そんな表層のスペックではなくてもっと根っこの悲しみを八丸は拾い上げて怒っているのです。同じように竜が本当に自分の「ありのまま」を誰かに見て貰いたいと思うのならば、自分の出自(=名前)ではなくて、今の自分をそのまま伝えればいいんじゃないでしょうか。名前なんて関係ないと思うんですよ。竜のままでいいじゃない。名前なんて記号みたいなものなんだから。竜のいいとこ、悪いとこ。それらを洗いざらい曝け出して伝えてみればいいんですよ。
それが「ありのまま」って事じゃないの?!自分が何から生まれたからどうだ!!っていうんじゃなくて、今…こんなだから!!オレはこういう奴なんだけどヨロシク!!でイイじゃんと、僕は思うのであります。竜がどんな生まれだから凄いんだ!!ではなくて、こんなオレだけど、ここまでできるんだ!!でも、これとこれはできない…けど、これはすごく得意だよ!!と胸を張って伝えるのが、僕には「ありのまま」に感じます。人生は「今」が大切なんです。過去とか未来じゃなくて、「今」…自分がどんな人なのか!?っていうのが、とてもとても大切なんです。自分の凄さは「今」で語るべきなんです!!
ま…お酒の量が進んだ分、若干意味不明ではありますが(笑)、竜は本当の名前とか、そんなに気にせずに三打や八丸には「ありのまま」を見て貰えばいいです。それでも竜は「いい奴だ」と言っても貰えるような人間になればいいじゃない!!人間であればいいじゃない!!自分のルーツやバックグランドはその後に探せばいいのよ。人生は「今」が肝心なんだから、君らが「今」…この瞬間に「どんな奴か?」が大切なんですよ。そして、それを知っても尚、君を支えよと思ってくれる人と君はいつか出会えると、僕は信じています。誰しも…どんな時も全ての人に愛される必要はない!!のです。
完全じゃなくてもいい!!って、そういう事なのよ!!
少年少女は忘れないで欲しい!!!飾らなくていい。意地を張らなくていい。君らは君らのままでいい。今のまま…そのまま…ありのままで生きてればいい!!しかし、それは全ての人に受け容れられないのかも知れない。でも、この広い世界の中できっと、きっと、きっと…君らを見出してくれる人が居るから。必ず居るから。君らを愛してくれる人が必ず居るから!!!!その人に出会えるまで決して君らは諦めちゃいけない。自分を信じて、「愛」を信じて一生懸命に生きなきゃならないんだ!!負けないで生き続けて欲しいんだ!!君らは愛される!!
君らを理解してくれる誰かはきっと現れるから!!
負けるな!!
挫けるな!!
強く…強く生きろッ!!
それを君らに伝えたくて……僕は書き続けているんだ!!!
続きまーす!!(あと少しだけどねー酔っ払っちゃったーwww)