サムライ8 八丸伝 第42話 次の流れ星 感想③
「精神体はH粒子から構成され
記憶・想い・予感・「義」を宿し宇宙と繋がり
そのネットワークの一部となる
つまりお前も
情報集積体の一部となったのだ
だが散体した大抵の者は
己が死んだと思い込み意識は消える
肉体から離れ上層次元に
移行している事に気付く者は少ない
記憶・想い・予感・「義」も消える事なく
そこにあり続けるのに…
だがお前は散体の前に悟ったようだな」(不動明王)
「そこまで大げさなもんじゃねーけど
七志って友達が気付かせてくれたんだ
アンの兄さんは死んだそうだけど…
志は生きてたんだって
七志となって現れ
兄さんと同じ「義」を持つオレを助けた
アンを助けるために…
感じたんだ
兄さんは死んでるはずなのに
その志は生きているように思えた」(八丸)
「ア…アナタはまるで兄さんだった…
兄さんが私の側に戻って来てくれた気がした…
し…死んでもまだ…じ…自分の「義」守ろうと
してくれてるって…」(アン)
「アンもそれを感じてた
だから散体したって死ぬわけじゃないって
そう見る事が出来た
オレの全部が誰かに繋がってて消えないんだって」(八丸)
一個前のパートで不動明王は「完成された自性輪身は肉体を捨て精神体だけとなる」と言っていました。なので、ここで取り上げる「精神体」とは散体した侍の精神を意味していて、侍になれずに死んだ…普通に死んだ人間は除外すべきかと思います。つまり、アンちゃんの亡兄・七志は「精神体」としては存在していないと考えるべきです。何だか八丸と不動明王のやり取りを見ているとその辺が曖昧で人間も侍も死んだら皆んな「精神体」として「上層次元」に移行する…くらいに八丸は思い込んでいるんじゃないかと不安になります。アンちゃんの亡兄・七志の「志」は同じナナシだった現・七志に乗り移ったと八丸が感じただけなのですよね。
偶々、同じ街で暮らす孤児・ナナシだったので、八丸を救いに来た七志に「志は生きているように思えた」と自分の想いを一方的に重ねただけだよね。それはアンちゃんが八丸に兄を重ねたのと同じで、皆んないいように解釈してるだけで、不動明王が八丸に説明する「精神体」が「記憶・想い・予感・「義」」を継承するのとは次元が違うお話であります。そして、それが「悟り」を開いたとされる八丸の見解っていうんだから、そんな自分勝手な解釈で「完全された自性輪身」になれるっておかしくないですか!?と僕は思います。テストで「答えは(偶々)合ってた」けど「思考過程がまるで分かってない」みたいな感じですわ。
これは「マークシート形式」なら問題ないけど「記述形式」だったらアウト!!ですよね(笑)。それでアンちゃんの亡兄・七志のようにたとえ死んでも「志」は残るから散体しても死ぬ訳ない!!というような説明を八丸はしてますけど、それ自体がもう日本語として意味が分からないし、第41話「侍・七志」で八丸は「自分がどうあるかは自分で決める」と言って散体したんじゃないですか!?それとも整合性が保てなくて、本当に大丈夫なんですか!?と心配になっています。多分、たとえ死んでも想いは誰かが引き継ぐ!!みたいな精神論を言ってると思うんだけど、それと「侍システム」の「精神体」は全く違うものですからね。
侍ではない普通の人間の死であっても「志」が残るんだから、八丸の全てもきっと誰かに繋がってる筈!!だから散体しても死なない!!という思い込み以外の何物でもない理由をドヤ顔で説明するのを不動明王が「そこ…ちょっと違うんだけど…」と、何で訂正しないの!?(笑)もうやってる事も言ってる事もめちゃくちゃ!!(笑)それと八丸の言葉遣いですけども、やっぱりバカは死んでも治らんのですかね(笑)。僕が神様だったらこんなに救われない魂は永遠に生まれ変わらないように輪廻の輪から解き放ってあげ…って、そのお積りで不動明王が八丸を「上層次元」に解脱させたんならGJなんですけどー(笑)。
不動明王が八丸に対して寛容なのは、八丸の真贋(しんがん)に興味がないからなのではないかと、僕は考えています。「侍システム」とは完成された自性輪身=精神体(H粒子から成る情報の塊)を「上層次元」に取り込む罠(トラップ)みたいなもんじゃないですか?それで散体した後、偶~に八丸のように「上層次元」に現れた精神体を不動明王のネットワークに繋がって情報をアップデートしてる…それは人が飯を喰らうのと一緒で、情報集積体としての欲求が「情報の収集」として発露してるんではないでしょうか?不動明王は内容は兎も角、より多くの情報が欲しいだけで、八丸の真贋を含めた品質に関して興味がまるでないのです。
リアルのインターネットでもその情報は玉石混交です。ファクトチェックは利用者が行い必要なデータを使用しています。それに不動明王は得られた情報を何に使っているのか明かしていませんが、例えば不動明王が僕らのグーグル先生の成れの果てみたいな存在であったなら、利用者が存在しない情報ネットワークにあって、それでも稼働していられるのは情報を集める事自体が目的、或いは自らの存在理由になっている可能性があるでしょう。それだと八丸がめちゃくちゃな悟りを自慢しようともスルーできると思います。不動明王にしてみれば八丸であっても偶にしか手に入らない貴重な情報の塊なのですから。
ところで、八丸の外見が不動明王に寄せられてますね(笑)。それとアタさんの候剣で失われた四肢は復活し、顔の傷も失せています。また背中にサンゴが生い茂って、眼球がネガポジ反転してまして、虹彩が「パンドラの箱」と「マンダラの箱」になっています。おでこの巴紋文様も陰陽(インヤン)がしっかりと絡み合ったデザインになっています。また体の両脇に無くしたはずの「鍵」(キーユニット)と侍魂が浮かんでいますね。不動明王の両脇にはそれがないので、両者は完璧には一致していないのでしょう。まーでも…この作品は説明が多いねー。その説明が納得できるならまだいいけど矛盾ばかりで滅入りますわー。
続きまーす!!