ハチマル

週刊少年ジャンプで連載中の『サムライ8 八丸伝』を考察するブログです。

サムライ8 八丸伝 第7話「出会い」感想③

「姫の美しさとは内面の美しさ
それを表現するのが生け花です」(師範)

「そう…そんな感じ

そう

そう…」(師範)

<グワワワッ>(アン)

「そうじゃなぁ~~いの
何それアン!!?」(師範)

「こ…こ…これは…
わ…わ…」(アン)

<ヒソ><ヒソ>(姫見習い)

「やり直し!!!」(師範)

「アン
あなたは毎回毎回…」(師範)

ウーン姫のところに出向いた葉芽道要請八丸の照会をサ姫にするパートの間に姫見習い生け花の授業が描かれています。アンちゃんの置かれた状況を見るにつけ、自分の子供の頃と重なります。僕は子供の頃はちょっと変わった子だったから、きっとアンちゃん以上の問題児だったと思います(笑)。よく先生からは「全然話を聞いてない」と叱られましたけど、僕としては「先生に言われたようにしているのに…」といつも不満が募っていましたから、アンちゃん生け花師範に怒鳴られている姿に同情を禁じ得ませんでした。

冒頭、師範内面「表現するのが生花だ」説明しています。それをアンちゃんはそのまま受け止めて自分の内面をありのまま表現した訳で、そのめんこい外見とは裏腹にアンちゃん心の内には激しいのような情念渦巻いているのでしょうか?或いは、朝家を出た時にたまたま見かけたか何かにインスパイアされて着想得たのかも知れません。その出来を生け花師範全否定してる訳ですが、アンちゃん美しいと思ってこんな風に作品を仕上げていて、決してふざけている訳ではありません。

アンちゃんにしてみれば「師範の指示通り…」ですから、何でこんなに怒鳴り散らされなきゃならんのか分からない筈です。そして、毎度毎度そんな感じの体験が続いて慣らされてしまっているのでしょう。しかし、その不満出力する方法を知らない。自分の心の中にある想いを言語化する事が、あの頃の僕にはできなかった。先生に「何でこんな事するの?」と訊かれても何一つ答えられずただ俯くだけでした。その悔しさだけは今も生々しくて…だから、アンちゃん困った顔を見てると胸がすごく苦しいのであります。

今なら、生け花師範がいう事が「建前」だと分かるんです。他の姫見習い如才なく何かの見本や定型の生け方をアレンジしているのでしょうか、恐らく「自分の内面を曝け出す」ような熱意を持って生け花生けてはいないと思うんです。先に葉芽道の突然の訪問で行儀悪く寝そべっておはぎをパクついてたウーン姫生け花取り繕う描写がありましたが、決して彼女らの生け花はその人の内面を表してはいません。師範がいう「内面の美しさを表現する」という気持ちがなくても生け花はできるし、当たり障りない作品なんていくらでも作れるのです。

…であれば、生け花師範そのように教えて欲しいと、僕は思うのです。これは建前で、定型を元にアレンジを加えて体裁よくまとめて…と言う風に具体的説明してくれれば、僕はそのオーダー通りに行動できる自信が子供の頃からありました。実際、先生の指示通りにしてた積りですんで(笑)。あと、僕は何事も納得できないと前に進めない子でした。10ある内の1つが納得できないと、そこで止まってしまって進めなかった。例えば「みんなと同じ」「みんな」か分からなかった。…って言うか、これは受け入れたくなかっただけかも(なんだか負けちゃう気がして)…ですが(笑)。

でも、建前本音察する…と言うことは悪い事ではなく、社会効率よく回していく為には非常に有意であるのも、また事実であります。大人になった今は僕もそれを納得できています。でも、子供の頃はそれを納得できずに葛藤してたんだよな。しかし、その悩み表現できずに心の中をグルグルと巡るだけで、誰かに相談するなんて出来なかった。その感覚いじめに遭ってる子が誰にも相談できずに抱え込むのとすごく似てると思います。何故だか、思考がキャンセルされるようなとても言い表し難い感覚。

それに自分の内側を常にオープンにする生き方というのも、経験者として言わせて頂けば、かなりシンドイし、苦難の連続なのであまりオススメしません。やはり「建前」というをその身に纏(まと)いだかが分からない「みんな」意識してはみ出さないのが効率がよろしい。きっと、それがナチュラに受け入れられるのが「みんな」という人なのだと、今頃になって分かった気がします。また、それが大人になると言う事であれば子供の頃から僕の周りは大人ばかりだったのかなー…(笑)。じゃあ、それを最初から言えよ!!ってとこに戻る…と(笑)。

子供の頃は兎角、未発達なのでうまく表現できない事が多いです。教育者や子供に接する大人はそれを常に意識しながら接する必要があろうかと思います。また、姫見習い生け花ウーン姫葉芽道対応のような結果的としての対面を保つ為の訓練になりますから、確かに姫見習いには有為であります。しかし、それが通じない子が一定数存在するという認識があって然るべきだと、僕は思うのであります。特に僕みたいな頑固な子先生も周りの大人達も困っただろうなとは思いますが、納得できないとそこで止まっちゃうからすごく難儀する訳さー。

でも、ま…僕もこうして大人というかかなりのオッチャンになれましたし、日々幸せを感じながら生活ができております。確かに不満憤りはありましたけど、それでも人は生きていける…逞しい生き物であります。もし、子供の頃の僕と同じように苦しい子がこれを読んでくれたなら、心配ない!!とお伝えしたいです。そして、負けるな!!と思う。今は八丸アンちゃんと同じように足りないものが沢山あるから、うまくいかない事が多いし、腹も立つ事も多いだろうけど、それは時間と共に必ず解決していきますから!!でも頑張れとは言わない!!頑張っているのだから!!

岸本先生の作品にはそういった少年少女の成長鮮明に描かれます。きっと『サムライ8 八丸伝』もそういう作品になることでしょう。早速、僕が食い付いたのがその証拠です。だから、焦らずに腐らずに生きていって欲しいです。僕がそうだったように、そして、これから八丸アンちゃんがそうなるであろうように、今ある漠然とした苦しさ辛さから解放される日が必ずやって来ます。そして、そうして生きていれば、それらが何の為に在ったのか?自分は何なのか?が分かる…僕はそれを信じ、これからも見守っていこうと勝手に約束しています。


 続きまーす!!