サムライ8 八丸伝 第8話「ゆっくりでよい」感想③
「……」(達麻)
(運命って何だっけ?
無意識の状~~~~~~~~~~~
くそ…ちゃんと聞いてなかった…!)(八丸)
「……へへへへ…」(八丸)
「ねェねェ師匠ォ…運命って…
何か……こう…お互い良い感じって事じゃな
かったっけ?」<ササササ>(ハチマル )
「違うぞ
それにお前は完全にフラれておるな」(達麻)
「え!!?
これがフラれるというやつか!?」(八丸)
「侍・キーホルダー
姫が集まったからといって
急に強くなるわけではないぞ」(達麻)
八丸にとっては人生初の失恋だったのですね(笑)。その前に告白とかしてないし!!運命の姫って前提で八丸が浮かれてただけで、何も始まってませんが(笑)。それでも、こういう小さなことからコツコツと八丸は体験を重ねて行く必要があるのだと思います。人は…人生とは…傷付き、気付き、築く…のであります。一度も傷付かないで何に気付けましょうか?!何かに気付けない人が何を築けましょう?!八丸は今まで足りなかった分、辛いかも知れないけど一杯傷付いて、一杯気付いて欲しいと、僕は思います。
あの発明王エジソンが「失敗は発明の母」と言ったのですよね。人は皆、失敗して学ぶのです。僕だってそうです。毎日、失敗だらけで、悲しくなるけど同じ失敗をしないように、その悲しさや悔しさを噛み締めています。それが人の学びなのです。達麻は余りにも足りない八丸を受け入れ、呆れずに八丸に言葉を投げかけ続けます。この大らかさを僕ら大人は軽視するべきではない。八丸のような子は本当に一定数存在します。僕がそうだったように子供らはいろいろと未熟なのであります。しかし、多くの大人はそれを忘れています。
皆、歩んだ道ではありませんか?今は大層な立場に居るのかも知れません。この世をば我が世とぞ想ふ方だって居らっしゃるやも知れません。けれど、子供の時は皆、不足して居たはずなのです。そこから何とかして発達を遂げ、一人前になったのではありませんか?それを大人である僕らは忘れちゃいけないと思うんですよ。子供らがどんなに情けなくても見窄らしくても僕らが支えなきゃいけないんですよ。それが先に生まれた者の責務ではありますまいか!?僕らにもそういう存在がいたよね…「先生」っていう頼もしい存在が!!
「…安心しろ
拙者は敵ではない」(達麻)
<カチャ>(葉芽道)
「八丸の師をしている者だ」(達麻)
「お主……侍か?」(葉芽道)
「…ね…ね…猫?」(アン)
<ペコリ>「弟子が失礼をした
機嫌を直して…名を教えてくれんか姫よ
ゆっくりでよい」(達麻)
八丸と達麻の差異が際立ちますね。達麻は心眼でアンちゃんを見ていますから、アンちゃんの悩みの根元が解る訳です。同じように八丸の人間的に不備な事情ってのも解ってる達麻ですから、弟子の無礼をまだ子供のアンちゃんにすら筋を通して詫びる覚悟があるのです。達麻の腰の低さを前にしても背中の大刀の鯉口を切って迎える葉芽道の足りなさ(笑)。葉芽道はこの時点で小物臭がプンプン漂ってますね(笑)。でも、彼は真面目でイイ奴だと思うので、読者の皆さんは見限らずに温かい目で見守って下さいね(笑)。
僕もやはり不備な子供であったので、もしも子供の頃に達麻のような大人と出会えていたらどれだけ良かったろうと思いました。結局、僕の場合は誰とも出会えず自分で自分の親となる離れ業で切り抜けた訳ですが、そのドタバタはいずれお伝えするとして、こうして達麻なんていうこれ以上望むべくもない師と出会えた八丸とアンちゃん…とれとついでに葉芽道も、本当に幸せな事だと僕は思います。深々とアンちゃんに首(こうべ)を垂れる達麻。まるでたわわに実った稲穂のようでもあり、僕には羨ましい限りであります。
そんな達麻が言う「ゆっくりでよい」という言葉がアンちゃんにとってどれほど救いであるか?この言葉をアンちゃんがどれほど待ち望み、探し求めたか?!同じような悩みを抱える子供達には解るんじゃないでしょうか?勿論、僕も涙がチョチョギレルくらい嬉しいです(笑)。ゆっくりと自分のペースで心の中に在るモノを吐き出せるなんて!!今までそれができなくて苦しんできたんですから!!悔しい想いを重ねて来たんですから!!そして、こうしてアンちゃんは「こう在らねばならない」とする檻から解き放たれる訳だ。
達麻はアンちゃんと八丸の不備に気付いている…この場における唯一の大人なのであります(葉芽道の立場が…)。そして、達麻の存在が八丸とアンちゃんの関係性を辛うじて繋いでいます。その事実(葉芽道の立場が…)が、どれだけ有り難いか。外見が猫(ダルマ猫な)であろうが、何だろうが関係ありません。その裏を返せば、八丸やアンちゃんがどうあろうと、達麻は変わらない訳です。ここで、この態度こそが達麻が八丸やアンちゃんにも同じであれというメッセージなのだと、皆さんは気付きませんか?
達麻の行いとはまさに、全てそうなのであります。淡々と抑揚の少ない達麻の行いこそが、そのまま弟子に対する教えなのです。この場でも達麻はアンちゃんと対面しながら、それを垣間見る八丸に対しても明確なメッセージを発しています(ついでに若輩者の葉芽道にも…)。これが迷える少年少女と共に居る大人の在るべき姿なのであると、岸本先生は訴えているのです。「ゆっくりでよい」と述べる達麻の姿に身につまされてみたり、その不出来さに葉芽道を責める自分の小ささに微妙に嫌悪感を覚えます(笑)。
続きまーす!!