ハチマル

週刊少年ジャンプで連載中の『サムライ8 八丸伝』を考察するブログです。

サムライ8 八丸伝 第10話「ターゲット捕捉」感想⑥

<ゴオオオオ>

<ゴオオオオ>

「!
誰だ?」(葉芽道)

「!」(八丸)

「八丸っ!!!」<ウィィィィイィン>(パパ)

「父ちゃん!!?何で!!?」(八丸)

「お…お父さん!?」(アン)

「八丸の父か…」(葉芽道)

「よくも息子をさらったな!!
ドロボウ猫が!!!」(パパ)

「なっ!!?」(葉芽道)

八丸に仕込んだビーコンを頼りにパパの方がアタさんより先に八丸に辿り着けました。それで登場していきなり達麻「ドロボウ猫」なんて呼ぶので葉芽道が言葉に詰まっています(笑)。達麻とは夜叉さんサシで話せるくらいの立場で、恐らくヒヨッコ葉芽道にしてみれば、雲の上のさらに上にいるような感じだと思うので、そんなお方「ドロボウ猫」だなんて!?というのと、その逆に、そんな達麻にここまで言えるパパもしも偉い人だったら…というリャン面考えがあるのでしょう。

その意味では、葉芽道はほとんどの事に脊髄反射で対応してしまう八丸よりはマシです(笑)。剣士としてもそうですが、やはり人として(サイボーグだけど…)積んでいるのだと思います。僕は『サムライ8 八丸伝』考察していてイマイチしっくり来なかったのはこういうところだったのか…と、このやりとりを見てふと思い当たるのでした。よく考えてみるとサイボーグの身体になっても美味いもん食べたり、美味しいお酒を飲んだり、その本性人間なのであります。

また、この世界はとんでもなく科学技術発達していますが、その中で生きる人々はリアルの僕らとそうかけ離れていません。人間って頑固だから、きっと未来でもそんなに変わらずに、なかなか理解し合えずに、それでも愛し合いたくて、くっついたり離れたりしながら…迷いながら生きて行くんだろうな…と思います。八丸アンちゃんって少年少女同じなんだよね。同じように悩んで苦しんで恋するんですよ。どんなに科学技術進歩しても、人間の本質はそう大きく変わらん訳だ。

どんなに便利になっても、そうそう簡単に人と人は分かり合えない…何故ならば、それが人というものだからなのですが、ここまでとんでも技術横行する世界観において、その感覚が若干、鈍麻してた気がします。だから、こんなに便利な世界なのにノロノロやってんじゃねーよ!!というようなお下品な事を言ってはいけません(←ケルベロス…お前がなー!!)。…という風に、不肖ケルベロスは思うのであります。ホント…人って変われないものなのね(←ケルベロス…特にお前がな!!)

 続きまーす!!