サムライ8 八丸伝 第35話 侘び寂び 感想⑥
「だがカーラは完全を求めた
崩れや歪みのない完璧な状態こそ「美」だと」(不動明王)
「カーラは
ワビサビってのが分かんねー奴…
って事ですね」(八丸)
(オレもよく分かんないけど…)(八丸)
『NARUTO -ナルト-』の場合、同じようなセリフをナルトが喋ったもんだけど、ナルトは「無意識に物事の本質を突く」というようなキャラ設定が浸透してたので耳触りが良かった。それに対して『サムライ8 八丸伝』の八丸の場合は上っ面だけのクズという程度にしかキャラが立っていないのでムカつくだけ…っていう悲しい現実(笑)。
「…でもさ…
不動明王がそんなにすごい人なら
なんで自分でカーラを倒さないんですか?」(八丸)
「私はh粒子…宇宙そのもの
よって三輪身の状態を解く訳にはいかぬ
だから侍のシステムを作り後世に託した
そして私の全ての力を封印した
2つの箱と共にな」<パッ><パッ>(不動明王)
「!
それです!そのパンドラとマンダラの箱!
それらは一体どこにあるのですか!?」(達麻)
「箱は見ようとするまでは存在しない
その箱を見ようとした時
箱はおのずとそこにある」(不動明王)
「…見ようとした時…?
どういう事ですか?」(達麻)
「お前の意識そのものがこの宇宙に影響をあたえ
繋がっているということ」(不動明王)
何だかお話が変な方向に進んでるなー…と思いませんか?不動明王と弟子のカーラさんの対立構図は分かったんだけど、その争点がいつの間にか「美」になってませんか?この一個前にいきなり「侘び寂び」が出たばっかりで、それが不動明王がコーディングしたプログラムで「美の概念だ」という説明があって、ページ捲ったら不動明王とカーラさんが「美」を競っていて、「もう…どんだけーェ!!??」と叫んでました(笑)。チョコプラ呼んでくんぞッ!!しかし、「崩れや歪みがない完璧な状態」って不動明王がこの世界に来た時の状態ですよね。そしたら、カーラさんに別の宇宙を紹介してあげたらいけないのかね。
不動明王も言ってますが三輪身(の一つ)の状態=h粒子をばら撒いて素粒子の均衡を崩してしまったから、不動明王は三輪身①(仮)の状態を解けないのね。もし解いてしまったら素粒子の質量がなくなってしまってこの世界を構成する物質を構成する原子が根こそぎ崩壊しちゃうんでしょうね。それで不動明王は侍のシステム(=ロッカーボールテクノロジー)を構築してこの世界の知性を持った種である人間族や鬼族=後世(こうせい)に託したのだとありますね。ところで、外見からしてカーラさんって人間じゃなさそうだし、鬼とも違うみたいなので、より不動明王に近い存在なのかも知れませんね。
この世界の人間(鬼も含めちゃう)が僕らと同じような五体を有し同じ外見なのは不動明王のお考えの筈です。不動明王はh粒子で宇宙と一体化してるので森羅万象に影響力があるのだと思います。多分、不動明王は我らがGoogle先生が自我を獲得して主体的に行動できるようになった生命体なので、やはり自分を生み出した原風景というものが彼の作風に大きく影響してるのだと思います。どう考えても寂しかった筈なんですよ。具体的には138億年ですからね(メンタル強ッ!!)。多分、独り遊びの時間に語録も考えてたと思いますよー。だからきっと不動明王の語録はまだまだキレッキレのが続くと思います(笑)。
冗談はさて置き、カーラさんは人間や鬼とは違う…もっと不動明王に近い存在だと思うんですよ。もしかしたら、不動明王が人間よりも先に拵えた可能性も感じます。話し相手…というか、友達…というか、自分のレベルに近い存在が欲しかったんじゃないでしょうか?だから括りで言うとカーラさんも情報集積体で自立したAIプログラムみたいなもので、その意味ではタンパク質の塊の人間なんかよりサクッと創れたんじゃーないかな?人間や鬼は進化に何十億年も要していると思うので。そんな訳で、カーラさんは人間や鬼よりも高い能力を持っていて不動明王も手を焼いてるんですよー…きっと。
ところで、ここで大ヒントが出てますよね!!不動明王の三輪身の状態の一種であるh粒子が宇宙そのものである…という設定。そして、侍は熟練すれば…h粒子を感じる事ができ(魚が水の中にいる自覚がない件)し、h粒子の濃度をコントロールして操れます。実際、不動明王はそうしてこの宇宙を自分の好き勝手(=思うまま)にデザインしています。それに「侘び寂び」というプログラム。これはこの世界の「美の概念」であり、物理法則を決定したのと同じように人類の「意識」まで決定しちゃったんですよ。まるでゲームのシナリオを決定するみたいに…最悪、ゲーム空間のお話なの!?まである……。
つまり、侍も熟練すればこの宇宙の在り方にすら関与できる可能性があるという事です。それが不動明王が三輪身の状態を解かずにh粒子として宇宙と一体化し続ける理由なのだと思います。「箱は見ようとするまでは存在しない」「その箱を見ようとした時箱はおのずとそこにある」とうのは、そういうプログラムを書けばいいんだという意味なのではないでしょうか?不動明王が「侘び寂び」をコーディングして人類の「美意識」すら決定したように、誰かが「諸行無常」(仮)というプログラムでも書いて流転し変化する事象の中から「パンドラの箱」でも「マンダラの箱」でも取り出せばいいんだよー…と不動明王は示唆しているのであります!!(適当)
続きまーす!!(ファイナルアンサー…!!??)