サムライ8 八丸伝 第41話 侍・七志 感想余話
人生とは「川を流される木の葉のようだ」と、僕は常々考えております。ハチマルの記述を「木の葉」で検索したら2件引っかかりました(笑)。どちらも少々お怒り気味で書いてるので、『サムライ8 八丸伝』のお話の中で岸本先生と考え方の相違があったのでしょう(笑)。簡単に説明すると所詮、人は川を流される木の葉みたいに無力で魚のようにスイスイ泳いで好き勝手できる自由なんてないんだよー…っていう救いのない考え方なんですが、木の葉もジタバタすれば若干向きを変えられてジッとしてたら見れない景色を見れたり、川の分かれ目で運が良ければ違う流れが掴めたりもする…その程度の自由はあるというお話です。
逆に言うとそれっぽっちの自由しかないのが人生なのであります。夢と希望に溢れる少年少女には誠に申し訳ありませんが、人生なんて道程も行き先も何もかんも予め決まっててつまらない…とても退屈な物語なのであります。極々稀に流れてる川に橋を架けたりダムを拵えたりするとんでもない木の葉が居たりしますが、そういう人は特別で将来教科書に載るような偉人さんであります。殆どの木の葉たちは何もできずに流れに乗っかっているだけです。でもその中にあってもジタバタ足掻いて自分の向きくらいは変えられます。そしてジタバタと性懲りも無く足掻いた木の葉だけがちょっとだけ違う景色が拝めるのです。
まーでも、僕の知る限り宇宙を飛び回って大冒険してる子も見た事ないですし、よくある週ジャンの主人公みたいな子も当たり前ですが居ません(笑)。そこそこお金を稼げるようになっても住宅ローンや子供らの教育費やらで、帰り道のセンベロ(本来は1000円ちょっとでベロベロに酔えるセットメニューの筈が実際には軽〜く酔った気分になれるセットメニューですかね)が唯一の贅沢だという人が沢山います(笑)。それに人生はなーんもしなくてもそこそこ捗ります。だって川を流されているのですもの(笑)。でもそれで我慢できないのがまた人情で、ちょっとは自分の向きたい方を向いてみたいと思うものなんですよ。
どうにもならない人生であっても、それをどうにかしようとして人は踠(もが)いて足掻(あが)いてジタバタしている訳です(笑)。そうやって僕らは生きているのです。それは自分で考えるという事。今、自分にできる事を必死に考えているんです。それが人の「主体性」であります。人は与えられたほんの少しの自由をどうにかして活かそうと考えるべきなのです。めちゃくちゃ不自由で自由なんてほんの少ししか与えられてないけど人は一生懸命、考えてジタバタする…それが人が生きるという事なのだと、僕は思うのです。「主体性」を持って川の流れに身を任せてこそ、人は生きているのだと僕は思うのです!!
不動明王は「侍のシステムを作り後世に託した」としています。そして「パンドラの箱」と「マンダラの箱」に自分の力を封印した…と。これは「後は君らでよろしくやってよ!!」って意味だと思うんですが、そんな事を不動明王自身が言っちゃいけないと僕は思うんですね。もっとジタバタしなきゃ!!って(笑)「私は生きているとも死んでいるとも言えるパラドックスの…」とか言ってるじゃないですか、自分の生死すら分からないのは不動明王がジタバタせずに流されてるだけだからです。つまり、不動明王は既に「主体性」を失っているんです。それは生きてはいないという事。不動明王はもう死んで(い)る…のです(笑)。
そもそも不動明王が作り上げたこの世界も随分です(笑)。間に合ってなくても間に合ったと言い張るし、相手がどう思おうが自分で決めちゃうし、死んでるか生きてるかも、世界の在り方すらも好き勝手に決められるんですよ!!そんなの自由ではなくて秩序がないだけです。強情な方が優位に立てるシステム故に譲れないだけなのですが、そんなの嫌だからカーラさんが御破算にして一からやり直そうとしてるんですよ。それは極めて正常な行動です(笑)。カーラさんのは主体性のあるジタバタです(笑)。まー不動明王が身動きできないから「後は頼んだぞ」なんでしょうが、僕はカーラさんを支持しますね(笑)。
カーラさんがどんな世界を構築したいと考えるのかが示されていないのでもっと酷くなる可能性もありますが、不動明王よりはマシかと思います(笑)。不動明王は「不完全だから美しい」と決めた(=プログラムした)んですよね。だから「そのままでいい」という解釈になるのでしょう?僕はそれが人生においてジタバタしていないのだと思えるんです。価値観(プログラム)の違いなのでしょうが、常識的には「不完全」だからこそ「完全」を目指して自分で考えてジタバタするのだと思います。それが生きるという事なのだと僕は思うのですが、この世界は違うんですよ。何もしないでも世界の方が都合よく変わっちゃう(笑)。
でもそれが八丸だけならギリ…破綻しませんが、もしも「俺も俺も!!」になったらもうめちゃくちゃになります。つまり、このシステムを維持する為にはただ一人の願望のみを世界に反映するしかないのです。前回はそれが不動明王だっただけで、今度はカーラさんがシステムにハックしようとしてるのを不動明王が達麻らを使って阻止しようとしてるだけなんですよね。今ある世界が人々を幸せにしてるんなら何も言いませんがそうじゃないですし、少年少女が「世界(人生)ってこんなにチョロいんだー!!」とか勘違いしたら困るので、僕は全力で否定したいと思います。「侘び寂び」なんて糞食らえ!!だと(笑)。
サムライ8 八丸伝 第41話 侍・七志 感想余話 ハチマル ケルベロス